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根子町人形とは3

根子町人形とは3

 

前回は清水町村についてどんなところだったのかを少し書いていきました。

今回は根子町人形の製作者について書いていきます。

 

各地の土人形製作というと、瓦職人や焼き物の生産地など人形を作る諸条件が揃った場所での発祥が多く、清水町もそうであったかというとそうではありませんでした。

 

前回に書いた通り、助けられた堤の工人が滞在していた旅籠屋の主人が技を伝授され、製作したのに始まったといわれています。それが窯元「仙台屋」の高橋家です。高橋家は旅籠屋でもありましたがその頃の当主であろう吉郎次は村の神社の宝蔵に収納されている木彫大黒天や奉納絵馬などを手掛け、また肖像画も描いています。また、高橋家は祭礼などの山車人形作りもしており、人形を作る上での技術面(造形の技術、絵具の知識)は既に持っていたことになります。それから大正頃まで代々作られていたようです。

そしてもう一軒、人形を製作していたのは「吉野家」鈴木家です。こちらはいつ頃から作られたかは明らかではありませんが、仙台屋と同じく山車人形作りをしていたといわれています。廃絶もはっきりしません。

残念ながらどちらも火災にあった為、(仙台屋はタネ5点、約50点の雌型が残り、吉野家はタネ、雌型もみることができないが見本に作られたと思われる大型の土人形と作品が若干残されている)史料も無く、詳細に知るのは難しいようです。

 

(参考)

・福島市文化財調査報告書第32集(1990)福島市教育委員会 

・みちのくの古人形ー三春人形とその周辺ー(1984)三春町歴史民俗資料館

 (写真)根子町人形「三番叟」(梅宮茂コレクション)福島県立博物館所蔵