貼る和紙について。
素焼きした後、和紙を貼る作業が根子町人形にはあります。
文化財調査報告書によると粘土の質が悪く脆い為和紙が貼られていると書かれているのですが、実際の人形を観察し作業していくと、和紙を貼る理由が他にもあるのではと思いました。
報告書の中には
「………根子町の土質を察知した工人の、破損防止のための見事な工夫と考えるしかない。しかもこれによって、次の絵画的表現という際立った根子町人形の特色を引き出したものと思われる。」(福島市文化財調査報告書代32集)
と、破損の為でもあったとは思われますが、
絵付けの時、型取りをした後の表面のひび割れをそのままにして焼成しているので、そのひび割れている部分に和紙を貼ることにより絵付けしやすくする為に、との理由も一つあると考えられます。
どちらかというと、破損防止で貼った和紙が絵画的表現を引き出したのではなく、絵付けしやすくする為に、和紙が貼られた、と私は思います。
実際に和紙が剥がれた人形の下の部分はひび割れが多く見受けられ、荒い土なので表面もあまり滑らかではありません。そのまま胡粉を塗っても表面が凹凸になり絵付けしずらいと感じました。さらに、背面は和紙を貼らず前面部分のみ和紙を貼っている人形もあり、技術的な面も工人の違いにより変化はしていくと思いますが、やはり彩色部分にだけ和紙を貼っていたのでは、と考えられます。
(あくまで私の意見ですので、他の方はまた違った考え方もされると思います。)
(根子町人形の素焼き部分)
(福島県立博物館蔵)
(堤人形素焼き部分)
(個人所蔵)
人形の底の部分の和紙について。
人形に使われている和紙は表面に貼るものと底に貼るものは殆ど区別されておらず同じもの(薄い和紙、反古紙)など使われていたようです。撮影時、何点か底が破損しているものの状態を確認させてもらいました。その中で会津暦が使われていたのを学芸員の方に教えていただき、実際に古書で入手、薄さなど確認してみました。かなり薄いです。このような和紙を人形に貼った後、胡粉で底部まで塗っていたようです。(上段のものは会津暦を貼ったものではありませんが、底まで胡粉が塗られているのがわかります。)
(上段2点・福島県立博物館蔵 人形底部)
(下段・会津暦)
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